継岡リツ 展
作品展示会場風景はこちら
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会期中の11月16日(土)
女子美杉並キャンバス1号館
110周年記念ホールにて
「ギャラリートーク 入江観×継岡リツ」
が開催されました。
たくさんの聴講者のほか、
女子美の関係者や継岡委員の教え子、同僚の方々、ご友人、そして女流画家協会の関係者も会場に集まり、非常に和やかな雰囲気が漂っていました。
おふたりの画歴や女子美でのエピソードなどを、
1時間にわたってお話しくださいました。
入江氏のフランス留学中のお話では
ある日、授業に遅刻した入江氏に対して、フランス人の先生は全く怒ることなく、「君の次の作品では、あの部分がいいね」と伝えただけで去っていったそうです。
普通なら、小言の一つや注意を受けるだろうと覚悟していた入江氏はその対応に驚いた、と話されていました。
フランスから帰国後、職を探していた入江氏が吉江麗子氏(女流画家協会委員)の勧めを受けて女子美で教職に就くことになった経緯についても、お話の中でとても心温まるエピソードとして語られていました。
継岡氏は自身が大学入試の際に赤緑色弱であると診断され、大きなショックを受けたとお話しされていました。
その影響で、しばらくの間、色を使うことを避けていたそうです。
今回の展示会場では、当時の暗い色調の作品と現在の白い作品が、意図したわけではなかったがたまたま左右の壁に分かれて展示されています。それを見た継岡氏が、「異なる作品だと思っていたけれど、根本的なものは同じだと改めて気づいた」と語られていたのがとても印象的でした。
ギリシャ神話に登場する星座の、点と点を結んで形を作る楽しさをテーマにしてきたこと、日本の空白や余白の美しさを白で残したいとお考えになっていること、そしてアクリル絵の具を使うことで、かつて苦手だった油絵の重ね塗りの制約を克服できたことなど、継岡氏の作品を深く理解するためのキーワードが散りばめられたトークでした。また、文化庁芸術家在外研修特別派遣で研修したイタリア・ミラノのブレラ美術学院での貴重なお話も、非常に興味深いものでした。
女性が絵を描き続けていくことについて
入江氏は「女性としての人生を歩みながら絵を描き続ける」ことについて、継岡氏を長年見てきた結果、あることに気づいたとお話しされていました。
あるトークイベントで、一人の卒業生画家が継岡氏にこんな質問をしたそうです。
「私は家で絵を描こうとすると、夫に邪魔されてしまいます。たとえば、取れたボタンをつけてほしいと言い出したりします。絵を続けるためにはどうすればいいのでしょうか?」
それに対して、継岡氏はこう答えたそうです。
「つけちゃえばいいじゃない。」
家事や子育ては、やらなければ先に進めません。だったら、さっさとやってしまえばいい、と継岡氏は考えてきたと言います。
入江氏はこのトークを聞いた際、まさに目から鱗が落ちる思いだったと語っていました。
また、心温まる女子美でのエピソードでは、こんなお話も。
お二人はともに付属の校長を務められていたため、退任時の最後の卒業式で、感動的なエピソードを体験されたとのことです。
生徒たちが壇上で一人ずつ卒業証書を受け取る場面で、手に文字が書かれているのに気づいたそうです。一見、落書きのように見えましたが、次々と卒業証書を受け取る生徒たちにも同じように文字が書かれていました。文字を続けて読んでいくと、「先生、今までありがとう」といった内容が綴られていたのです。その瞬間、こんな素晴らしいアイデアを思いつく生徒がいる学校で自分が働いていたことに気づき、嬉しさとともに涙が溢れた(溢れそうになった)と語られていました。
女子美の温かな雰囲気が感じられ、とても心を打たれるものでした。
最後に、入江氏は継岡氏の作品に共感した点について語りました。
それは、美しい空間を作ることが絵である、ということ。それが一番大事だということです。描く部分と、意図的に描かないことで表現する部分、いずれも空間を表現していることに共感したとおっしゃっていました。
在校生より花束の贈呈。
笑顔の継岡先生と入江先生
教え子の皆様に囲まれて。
帰りには皆様へ、
継岡先生から森永のお菓子「おっとっと」のお土産がありました。
なんと、『おっとっと』は、継岡先生のお姉様が名付け親なのだそうです!当時、森永製菓にお勤めだったお姉様がこのネーミングを考案されたとのことです。
素晴らしいトークイベントを聴講させていただき、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
(寄稿:中嶋しい)