岩手県花巻市の萬鉄五郎記念美術館にて
橋 和 展 が開催中です。
(展示会場の様子はこちら)
http://blog.joryugakakyokai.com/article/191300088.html

3月23日(日)には
橋和氏による講演会 が行われました。
多くの方が来場。
一般の来館者に加え、女流画家協会関係者や橋氏の知人も駆けつけ、会場は満席となりました。

(橋和委員)
橋和 講演会
「作家生活70年を振り返る」

美術大学時代
「盛岡短期大学美術工芸科油絵科で3年間、さまざまな先生に学びました」と橋氏。
「深澤省三先生、深澤紅子先生(女流画家協会委員)、佐々木一郎先生などからしっかりと人体デッサンを習いました。そのおかげで、上手くはないけれど、なんでも描ける力が身につきました」
また、小池岩太郎先生の特別講義で学んだことも今の作品作りに大きな影響を与えている、と。
「バウハウス理論や平面構成・立体構成を教わり、それが今でも作品づくりに生きています。
ある素材から他のものを作り出す発想について、形を変えたり、重ねたりすることで新しいものが生まれる。この考え方が、ずっと作品作りの原点になっています」と語り、その独自の視点が現在の作品に反映されている様子がうかがえました。
また、学校卒業間際のエピソードとして
クリスマス用の看板作成のアルバイトで盛岡のある屋敷に行ったことがあり、その人はなんと原敬氏の末裔だったことなど、楽しいお話が続きます。
就職と仕事の話
「中学校教師をした後、上京。
12年間、製薬会社のデザイナーとして働きました。
フリーになってからは新聞の挿絵や、
土沢出身の佐々木幸三氏のアドブレーンからのイラスト依頼を受けていました。
また、YWCAの講師も務め、自分の教室を作り、現在も教えています」
挿絵画家になりたかったが時代物、西洋・現代などジャンルが細かく分かれていて、例えば時代物であれば刀の置き方一つとっても時代考証を徹底的にしないと仕事にならない。今のようにネットで検索などがない時代なので神保町の古本屋に行って文献を探す。それはご自分には向いていないと思ったそうです。
また、お金のことを考えて仕事をした時期もあったが
その時はスペインの白い風景画(スケッチ)を描いて売っていたそうです。
しかし大抵はあまりお金のことは考えず、心のまま生きてきたとのこと。
「どうやって生きてこれたのか?
よく覚えていませんが、なんとか生きてきました。(笑)
絵以外の仕事をしたことはありません」

海外へ−南米への旅
「海外に行ったのは40歳を過ぎてから。今さらフランスという感じではなかったので、南米へ行くことにしました。もともと興味があった、マチュピチュやクスコに行きたかったからです。
南米が好きな理由は、民族が日本人と同じモンゴル系で親しみを感じたから。
クスコは「世界の中心」、日本から遠く、時には「このまま日本に帰れないのでは」と思うこともありました。その後もスペイン語圏を旅し続けました。
ボリビアの遺跡では、ガイドさんが聖域に入る前にバスから降り、チチャという酒を捧げて祈る姿が印象的でした。また、民族衣装を着た女性たちのデモを見かけました。古典的な衣装と現代的なデモという行為の対比がとても面白かったです」
絵の変遷
「絵の変化については、自分でもなぜ変わったのかわかりません」と語り、会場から和やかな笑い声が(笑)
萬鉄五郎記念美術館の平澤館長から
「柿渋を使うようになったきっかけは?」との質問にも
「なんでだろう?忘れました」と笑いながら答え、再び場内を和ませました。
「でも、油絵はあまり得意ではなかったので、柿渋を使うようになったのかもしれません。
近年の作品の茶色は、バルセロナからグラナダへ行く飛行機から見た土地の色が影響しています。南米とはまた違う茶色でした。
プラド美術館では、茶色で下地を作っている作品を多く見て圧倒されました。自分にはできないと思いましたし、それが自分に合っているのかもわからなかった。そこで、自分流にキャンバスにヤスリをかけ、ジェッソや柿渋をかけたりしています。ほかにも都染の染料の藍を使ったり、墨や油絵具を組み合わせたりしています。柿渋は奈良から取り寄せています」

作品「風跡」シリーズについて
「風跡」というタイトルは、「遺跡」と「風」を組み合わせた言葉です。
風は時、跡は遺跡=大地を表しています。
館長のお話
「展示について、本館にはペルー時代〜「風跡」シリーズをまとめ、
2号館(八丁土蔵ギャラリー)には若い頃の作品を展示しました。
作品を見ていると、年代を経るごとにどんどん若返っているので驚きます」
また、橋氏はもうすぐ90歳になりますが
一人で東京から来て元気に行動される姿にも驚かされたと話されました。
最後に
「作家生活70年と言われても、ピンとこないですね」と。
「絵描きにとって健康は大事。
とはいえ、何も考えていませんが(笑)」
最後に、
絵を描くことについての思いを語りました。
「役に立たないことをするのが好きです。それは最高に贅沢なことだと思います」と、創作の自由さや自己表現の大切さを話されました。
さらに、「描いても描かなくても辛いなら、描けばいい」と。
そして、
「銀座K'sギャラリーで展示をする抽象作家や女流画家協会の皆さんからは、いつも新しい視点や励みをもらえます」と語り、仲間たちとのつながりが自身の創作活動にとって大切であることを改めて実感している、と話されました。
女流画家協会のみんなと撮影。

K'sギャラリー増田さん(前列右端)も一緒に。

新聞社、TV局の取材を受ける橋氏

(寄稿:中嶋しい)