2020年〜2022年6月まで会報係を務められた金谷ちぐさ委員と照山ひさ子委員に、3年間の会報編集のお話をじっくり伺いました。
左:照山ひさ子委員 右:金谷ちぐさ委員
聞き手(中嶋しい)
1号ずつ振り返ってじっくりお話をお聞かせいただきました。
2020年5月発行(Vol.8)
出来事:コロナで展覧会中止
Vol.8 1頁〜4頁こちらでご覧いただけます
Vol.8 5頁〜8頁
(中嶋)それまでの4ページ年1回発行から、8ページ年2回発行となりました。8頁という量はかなり多いと思いますが、どのような会報にしていこうと思って挑まれたのでしょうか。
(金谷)正直戸惑いましたが、4ページの会報は他の美術団体に比べ物足りないとは思っていました。しかし、レベルの高いものを作るのは素人には無理。出来る範囲で、女流の良さをアピールし、出品者を増やすことに貢献する、読みやすい、温かい会報が作れればと思いました。文字は大きくしました。
ページ数が多くなったので、なるべく広く協会員の皆さんの声を聞くことを心掛けました。
もう一つ、後まで残るアーカイブ資料として、会に貢献した先輩を取り上げる。また、現役先輩の方々がお元気なうちに、お話を聞いておくという目的もありました。
(照山)私も大変戸惑いました。会報などという大変な仕事を私ができるのかしら、安易に引き受けていいものかと。しかし金谷さんと一緒にやってほしいと言われ、金谷さんとは審査のお仕事で数回お話しした程度でしたが、とてもしっかりなさって頼りになるお方(失礼!)という印象があり、金谷さんがいれば何とかできるかもしれないと思い大任を引き受けました。
(金谷)照山さんとはそれまで深く話をしたことがなく初めて一緒に仕事をしましたが意気投合!!私の無理な意見も取り入れてくれて、二人で頑張りました。楽しかったです。
(照山)本当に!金谷さんとチームを組んで、女流の先輩ですけど本当に良かったと思っています。物理的、時間や作業については非常に大変でした。でも精神的なものは本当に楽しかったです。
(金谷)そうそう(笑)
コロナですしそんなに会っていたわけじゃなくて、ほとんどメールでやり取りして考えました。
(中嶋)お二人のチームワークの良さが紙面に表れていたと思います。
(中嶋)すっきりとした表紙デザインが目を引きました。デザインはお二人でされたのでしょうか。なにかイメージするものがあったのでしょうか?
(金谷)NEWSというタイトルは私が勝手に決めました。英語にしたかっただけです。絵の写真は女流のチラシから取りました。前回受賞者の絵で外部にもPR出来ればと。絵は、切り取りはぜず、現物と同じ縦横の割合です。Vol.11号も同様。照山さんとレイアウトを考え、文字のバランス、色は照山さんが意見を出してくれました。
(照山)やはり表紙はとても大切ですね。最初に表紙で全体の印象が決まってしまいますから。女流らしく、かつインパクトのある表紙にするにはどうしたらよいものか思案致しました。
(金谷)この回、新旧事務所交代や受賞者の声の他に、「絵と共に歩む」というコーナーを作り継岡リツ委員、服部圭子委員、渡辺由紀子委員に語っていただきました。女流画家協会との関わりやご自身の事など興味深いお話を聞くことができ、この取材が後に続く号の基本の形となりました。
2020年12月発行(Vol.9)
出来事:緊急事態宣言が続く
Vol.9 こちらでご覧いただけます
(中嶋)展覧会中止のため掲載すべき情報がない中、記事集めは大変だったと存じます。ご苦労や裏話があれば。
(金谷)記事内容については、毎回二人でアイディアを出し合いました。
「個展グループ展紹介」は照山さんのアイディアです。これは、毎号続けられるし、いろいろな方の絵に対する思いが聞けて、ほんと良かったと思います。
(中嶋)緊急事態宣言が長引き、みんなで集まることができない時間が続いていました。そのようなときに発行する会報でしたので、あらためて会報の役割を意識して内容を考えられたと思いました。地方のみなさんからの声を届けてくださり心温まる号でした。
(金谷)コロナが猛威を振るい出し、「コロナ禍の中で」という特集を組みました。委員会員会友の枠を超えて沢山の方の声を聞きたいと思いました。20名をどう選ぶかは基準が必要と考え、対象は今まで載ったことのない人で、前回、前々回の展覧会で新委員、新会員になった人と会友だったと思います。同じ人が何度も書くことは避けたいと思っていました。
(照山)皆さん似たような文章になるかと思ったら、全然関係のない事を書いてくる方もいてそれがまた良かった! “イラストも募集”と書いたところ5人の方が描いてくださり感激。皆さん、イラストも上手い! 流石絵描きですね。
女流展でも限られた方々としかお話をする機会もなかった中で、皆さんがそれぞれ苦労をしながら真摯に創作していることを知り、私も頑張らなければと思いました。
(中嶋)丸木スマさんの特集。協会の大先輩のことを知らない協会員は多かったと思います。偉大な先輩の歴史を知ることができ、とても心に残る記事でした。この特集のきっかけはどんなことだったのでしょうか。
(金谷)丸木スマについては、委員会で取り上げたらどうかの意見があり、大変ありがたかったです。炎天下、遠方まで取材に行き、まるで遠足。迫力のある絵を見て、学芸員の方の話を聞きました。会の大先輩であり、ドラマチックな人生、素朴でありながらぐいぐい訴えてくる作品。そして嫁の俊さんも会員でしたのでしっかり取材が出来ました。会報取材の中で一番心に残る出来事でした。
(照山)取材は本当に勉強になりましたね。スマさんの絵、たとえば鯉の絵なんて、描写的ではない自由な絵ですよね。描けないと悩んでいる人が多いですが、スマさんのように美術教育は一切受けていない人がこんなすばらしい、人を感動させる作品を描ける。やっぱり既成概念から解放されて自分の心の魚を描けばいいんじゃないかと思います。
(金谷)そうですね、スマさんの絵は生き生きしていますよね。
(照山)また、学芸員さんのお話はすごくわかりやすかったですね。
(金谷)絵の説明がわかりやすいし、説得力がありましたよね。
(照山)この号では、「旅の思い出」というコーナーをつくり、若い頃ニューヨークで現代美術を学んだ経験をお持ちの青木俊子委員に、レッジオギャラリーを訪ねたときの思い出を執筆していただきました。改めてアメリカの芸術財団のスケールの大きさを知ることができました。
(中嶋)この号からは照山委員がWORDのみでデータを作成されました。編集ソフトではないので、細かな調整が難しかったと思います。ご自身の制作の時間を割いて作業をしてくださいました。
(照山)レイアウトには試行錯誤を重ね、記事の順番や場所に気を使いました。手探りでWORDで作ったものですから、いろいろ大変でしたが勉強になりました。良かれと思って記事ごとに書体を変えたりしてみた号もありましたが、揃えた方が読みやすいということがわかったり。
(金谷)照山さんにお任せでした。大変だったと思います。
2021年5月発行(Vol.10)
出来事:2日半の本展開催
Vol.10 こちらでご覧いただけます
(中嶋)発行直前になってもまだ緊急事態宣言下で美術館閉館が続き、開催か中止か決定していない不安定な時期でしたので、記事内容も流動的にならざるを得ず、大変だったと思います。
(金谷)担当して3号目となると大体スタイルが決まってきました。目玉になる特集が組めれば、後は何とかなると思い、いつも通りの取材をしていました。
(中嶋)甲斐仁代特集。丸木スマに続いて、女流の大先輩の特集。
甲斐先生は、先日のNHK日曜美術館「女たちの戦争画」にも出てきた「女流美術家奉公隊」のひとりでもあったんですね。この記事をきっかけに、私も女流画家協会員であることの重みを感じるようになりました。他の委員からも同じような意見を耳にしました。とても意義のある特集をありがとうございました。
(金谷)岡田委員からご推薦があり、ご一緒した練馬の画廊での甲斐仁代展で私は初めて甲斐仁代の絵を知りました。
甲斐仁代賞というのは聞いたことがあってもなぜ賞が出来たのか、本人はどういう人だったのか、知っている人は少ないと思います。これを機会に、戦前、戦中、戦後に女流画家として活躍したことを伝えたいと思いました。
(照山)私も甲斐仁代さんのことは初めて存じ上げたのですが、生き様・絵を描く人間として、本当に“絵を描きたい”という姿勢に、自分もいい加減にやっていてはいけないなという気持ちにさせていただきました。こんな素晴らしい大先輩がいたんだと。世の中が貧しい時代の中でも、こんな風にひとつのことに取り組んだ姿勢に、私も少しでも頑張ってみようかな、という気になりましたね。一番心に残る取材でした。
(中嶋)照山さんに日曜美術館「女たちの戦争画」の放映のお知らせをしたときに、すでにその内容をご存じでしたよね?「本で読んだ」とおっしゃっていましたが、この取材で知ったのですか?
(照山)そうです。取材に行ったときにギャラリー呉天華で紹介されて読んだのです。
(中嶋)そこまで勉強されて取り組まれた特集だったのですね。感動しました。
(金谷)そこで紹介されて二人ともその本を購入して帰りました。
(中嶋)ほかにご苦労されたことなどはいかがですか?
(照山)この写真など(甲斐仁代:自画像)は国立近代美術館から手続きを踏んでお借りして、掲載許可をもらってから載せています。著作権の問題があるので難しいのです。
ほかの掲載写真についてもすべて、画廊や収蔵者に許可をもらって掲載しています。また、できる限りの事実確認もしっかり下調べしました。
(中嶋)たくさんのご苦労があったのですね。
当時の甲斐先生を知る岡田菊惠委員や橋和委員のお話も興味深かったです。あのコメントがあったので、特集に深みが出たと思います。
(金谷)お二人の委員の方々には大変お世話になりました。やはり、実際に会っていた方
当時在籍していた方の話は重みがあります。懐かしい思い出なので話し出したら止まらないところがありました。話が長い(笑)
(中嶋)「あの頃」コーナー。山口孝子委員の中高生時代の写真が可愛らしかったです。また、当時教師だった吉江麗子委員のご様子もくわしく説明してくださり、若かりし頃の美しいお姿が目に浮かぶようでした。楽しい記事でした。ほかの先生方の「あの頃」の記事や写真掲載が続くといいな、と思っています。
(金谷)山口委員は、原稿依頼した時すぐに吉江委員の事を書こうと思ったそうです。まさに当時の様子が目に浮かぶような、読んで楽しい文章でしたね。古いモノクロ写真は、ご本人に頼んで探してもらいました。吉江委員も喜ばれて何度も読み返したとのことでした。
2021年12月発行(Vol.11)
出来事:つくば展開催。入江先生ご逝去。
Vol.11 こちらでご覧いただけます
(中嶋)2年ぶりの本展開催で、女流に元気がよみがえった時期でした。受賞者の喜びの声の記事や各地の個展開催風景もひときわ賑わいでいましたね。
(照山)久しぶりの地方展「つくば展」も開催されましたね。地元在住の楠本委員に報告を書いていただきました。
(金谷)中嶋委員の本展準備の様子などの文章は緊張感が伝わり、事務所の苦労がよく分かりました。
(中嶋)入江先生を偲んで馬越陽子委員が寄稿された文章を感慨深く読ませていただきました。
(金谷)入江先生は、創立時から(第2回展)いらっしゃった、女流画家協会にとって重要な方です。馬越委員にお願いしたところ快く引き受けてくださり、入江先生の経歴を正確にたどりながらエピソードも含め、絵について詳しく書いてくださいました。お忙しい中ファックスで送られてきた文章の校正を電話で一緒に行って下さり、感激でした。
そして平川委員による糸田先生の追悼文も一緒に載せることができて良かったです。
退会なさっていたため、今までの号で取り上げていなかったので気になっていました。
(照山)女流画家協会の偉大なる大先輩おふたりを失ったことはとても残念なことでした。
馬越委員、平川委員に追悼文をお書き頂いたことにより、改めて大先輩おふたりの業績、そして画家として歩いた人生を知ることができたと思います。
(金谷)紙面が8ページになったので今後も追悼文はある程度大きく取り上げるべきだと思います。会に貢献して下さった方ですので。
(中嶋)山内委員の回想録。昔の女流画家たちの様子を知ることができる記事は興味深いです。
(金谷)山内委員の文章は、機知に富んだ、とても自由なスタイルで書かれておりましたので、裏に隠れている当時の状況が知りたくて電話でいろいろお聞きしました。楽しいお話の中でご自身のご苦労が分かり、また女流やモダンアート創立の頃の貴重なお話が聞けました。皆さん頑張っていらしたのだと実感いたしました。
(照山)山内委員の機知に富んだ名文、委員のお人柄が表れていましたね。
2022年6月発行(Vol.12)
出来事:本展、3年ぶりの通常開催。
Vol.12(PDF準備中)
(中嶋)この号は表紙からも伝わるように、女流創立の頃にクローズアップした号になっています。この3年間の会報も女流の歴史に触れる記事が多かったと思いますので、この号は集大成のような目的があったのかなと思いました。
(照山)表紙については、75回記念展に相応しいものにするにはどうしたらよいか、暫く思案に明け暮れました。どうしたらよいものか、なかなか名案が浮かばないでいたときに、『そうだ、創立委員の先生方が和やかに、かつ生き生きとした表情をして写っている写真と、昭和24年の第3回展目録表紙を組み合わせて使ったらどうだろうかということが頭に浮かんだのです。早速試作して金谷さんに提案致しました。金谷さんもこれで行こうと賛成して下さり決定したのです。
(金谷)75年の歴史を語る記事については、会の創立当時を知る岡田委員、吉江委員と中村代表での鼎談と決まりました。取材当日吉江委員が欠席なさったのは残念でしたが、吉江委員には文章を寄せていただきました。
(照山)吉江委員の「あの頃のこと」は、戦後すぐの混乱した世の中の情勢が目に浮かぶように書かれていて感動致しました。(私の生まれるちょっと前の話ですが、、、(笑))あの時代は男性中心の社会でしたから。女性は今のように自由に羽ばたけなかったですものね。
お写真は、私が委員になりたての頃、女流展の際に私が撮っておいたものが見つかりそれを使いました。
(中嶋)記念対談、岡田委員のお話の中には美術史に名を連ねている画家さんたちの名前がでてきて、ドキドキしながら読みました。
(金谷)安井曾太郎が岡田委員の先生なのですね。青木先生姉妹についてのお話も良かったです。後半は中村代表とのやりとりがあり、最近の美術に対するご意見などもありました。
(中嶋)「各地からの便り」コーナーも楽しかったですね。
(照山)地方の方々の寄稿では、皆さんすてきな写真を添えてご寄稿くださいました。自分の生活を一生懸命描いている方、長年努力を続けてこられている方々のとてもいい記事を紹介出来て良かったと思います。
(中嶋)志村委員のプロヴァンスの回想録も良かったですね。
(照山)若いころのフランス留学の回想録、すごくいいですよね。作品を見せていただくたびに、私は空間に心象風景を感じておりました。回想録を読んでみて、もしかしたらプロヴァンスの風景なのかなと思いました。
(金谷)そう!原風景かもしれませんね。お忙しい中、作品写真(カット)も送ってくださって。
(中嶋)文章と作品がぴったりでした。
(金谷)掲載したグリーンの作品以外にピンクの作品写真も送ってくださいましたが照山さんと二人で考えて選びました。
(照山)宮原麗子先生の追悼文は宇佐美委員に書いていただきました。掲載した先生のお写真は、何回展だったのかすっかり忘れてしまったのですが、上野の会場の確か3室に宮原むつみ委員の作品と私の作品がちょうど隣同士に展示されたとき、宮原先生が優しい言葉をかけてくださり、その時撮らせていただいた写真なのです。お会いした時にいつか先生にお渡ししようと思いながらずっと封筒に入れたままにしてありました。お会いする機会を失い残念でしたが、先生の在りし日のお優しい表情そのままで、写真を見るたびに涙が出てまいります。
(中嶋)最後に一言お願いいたします。
(金谷)3年間担当し、5回発行。非常に勉強になりました。今後、新しい担当の方には新しい切り口で会報を作っていただきたいと思っております。たぶん、もっともっと面白い会報ができるのではないでしょうか。期待しております。
照山さんには大変お世話になりましたがチームワークはばっちりだったと思います。
(照山)本当にチームワークばっちりでしたね。金谷さんは文才もあり、かつ誤字脱字見つける天才! 私はひたすらパソコンで入力作業を行い、文章チェックは金谷さんにお任せ。文章と写真のレイアウト、どのように入れるかなど二人で時間をかけて考えました。
(金谷、照山)これまでの温かいご支援ご協力ありがとうございました。
(照山)なかなか思い通りにはできませんでしたが、貴重な体験をさせていただき、感謝申し上げます。
(中嶋)本当に3年間お疲れ様でございました。そしてありがとうございました。